「騙り」が招く悲劇

インターネットでのコミュニケーションは「匿名」が基本です。匿名とは自分がどこのだれであるかを隠してコミュニケーションをとることです。匿名でやりとりをすること自体は特段違和感のあるものではありません。むしろインターネット上で自分が「誰」であるのかがわかるような振る舞いは危険とされ、常識から外れます。インターネットでは自分の個人情報や所属する団体、家族の情報を守るために「匿名」が基本です。

ただ、匿名であるがゆえにしばしばみられるのはインターネット上での「騙り」です。匿名であるがゆえに、インターネットでは自分をどう偽ることも可能なのです。ただ騙るだけであれば、実質無害です。それに振り回されたインターネット上で関わりのあった人なども、「騙された」と気がつかなければ何も変わりません。インターネット上で語られていることのすべてを信ずることができないのは、情報発信源が匿名だからであり、情報ソースとしての信憑性に欠けるからですが、それを信じるかどうかはユーザーそれぞれの責任です。

インターネット上での関係は、時にはOFF会などのリアルな行動を招くことがあります。騙りを行っているユーザーは、インターネット上での自分と実際の自分に差があります。このような時に「嘘」が自分自身にしっぺ返しとして跳ね返ってきます。インターネット上でなにをどう書こうと自由です。自分をどう偽ってもいいのです。ただ、そのようなことに意味があるのかどうかはなんともいえません。自分自身の責任で好きなようにインターネットを利用すればいいのですが、それがインターネット上で嘘をつき、インターネット上だけで賞賛や注目を得てもなにも意味がないのではないかと思います。

さらに悪質な騙りとしては、「性別を偽る」ということです。インターネットは文字や文章だけのやり取りが多いです。男性のユーザーが「私はOL」ですと書いてしまえば、その瞬間からそのコミュニティではそのユーザーは女性として認識されてしまいます。そのような騙りに何の得があるのかはわかりませんが、しばしば性別を詐称するユーザーが見受けられます。そのような詐称に惑わされてしまうユーザーもいます。実際のところ、詐称かどうかなどということは「確かめようがない」のです。インターネット上での発言のひとつひとつはその情報の発信側と受信側の「姿勢」でその真偽が決まります。「信じたことが真実」なのです。

インターネットでは、その匿名性からなにを書いてもいいように捉えられます。ですが、実際には詐称を見抜く目をもったユーザーも沢山いますし、コミュニティによっては「ウソだらけ」と捉えられている場合も多いでしょう。インターネットのコミュニケーションに何を求めているのかは人それぞれだと思うのですが、「騙り」を行うことで誰が得をするのかということを少し冷静になって考えてみると、誰も得をしないということがわかるのです。愉快犯的に人を騙しても、その嘘はいつかバレます。匿名だからまた別の名前でそのコミュニティに参加すればいいと考えていても、アナタという人格が変わるわけではありませんから、目の超えたユーザーには「騙り野郎がまた来た」とバレてしまうことでしょう。

 

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